『公務員、中田忍の悪徳』 × 空想科学研究所

「かわいいエルフをいきなり氷漬けにしよう!」
主人公・中田忍の冷徹な主張は、科学的に賛同すべきか!?

文:柳田理科雄(空想科学研究所主任研究員)

公務員、中田忍の悪徳

ガガガ文庫の編集部から「主人公が、なんだか柳田さんみたいな性格です。よかったら読んでみてください」というコメントとともに、小説のゲラが送られてきた。なんですと!? ワタクシのように、爽やかで義理人情に厚い快男児が主人公!?
ところが、ゲラを見れば『公務員、中田忍の悪徳』という怪しいタイトルである。主人公の中田忍は、区役所で生活保護に関わる業務を担当する32歳。自分の信念に忠実で、常に正論を述べる姿勢は一貫しているが、その正論は「思いやり皆無の殺戮説教」と陰口を叩かれるくらい、周囲からは浮いている。しかし忍本人はまったく気にせず、常に状況を観察し、思考の材料を集め、考えを積み重ねて……って、この理屈っぽい男のどこが筆者に似ているんですかね!?

しかし、読んでみるとかなり興味深い内容であった。
忍には、大学時代からの友人・直樹義光と、区役所の部下・一ノ瀬由奈という理解者がいる(たぶんこの2人しかいない)。その義光と、学生の頃に「ある日、異世界からかわいいエルフの女の子が遊びにきたらどうするか」という議論をしたことがあった。楽しい展開を想像していた義光に、忍はこう主張した。
「即座に極低温で冷却し、宇宙へ放逐、最低でも南極の永久凍土へ封印せねばなるまい」。
遊びにきたかわいいエルフを、いきなり氷漬け!
その理由はまことに忍らしい発想で、彼は「異世界エルフの常在菌が、人類を死滅させる毒素を保有」している可能性を考え、だからといって「焼却処分」では、灰が風に乗って雲となり、毒の雨になるからNGで、もっとも危険の少ない方法として「氷漬け」と結論づけたのだった。

理詰めだが、血も涙もない主張に、義光は「そんなんじゃ、社会に出ても友達できないよ」と言うしかなく、そして多分その指摘どおり、忍には新たな友達はできないままに10年くらい経ったのだろう。
ある日、仕事を終えて帰宅した忍のマンションに、異世界エルフの美女が、仰向けに横たわっていた――。
さあ、忍は10年前の言葉どおり、かわいいエルフを問答無用で氷漬けにできるのか!? こうして、忍の理詰め人生が試される話が始まる。 公務員、中田忍の悪徳

◆常在菌とは何か?

実際にどんな対処をしたかは、ぜひ小説を読んでいただきたいが、ちょっとだけ言及しておくと、忍たち(義光と由奈もつき合わされる!)が、未知のエルフに少しずつアプローチしていく過程は、とてもスリリングで面白かった。
異世界から来た以上、生態も文化もぜんぜん違うだろう。水や食べ物はどうやって摂取するのか、言葉や意思疎通はどうすればいいのか、そしてトイレは……!? 
考えるべきこと、検討すべきことは山とあり、それをいちいち理詰めで考え、行動に移していく忍。まるで筆者自身を見ているかのようで……、はっ。やっぱり筆者はこのヒトに似ているのか!?

これ以上書くと、重大なネタバレをしでかしそうなので、ここでは忍が主張していた「異世界エルフを冷凍」という対処について考えてみたい。異世界と地球の環境が違う可能性がある以上、それはナットクの方法といえるのか?
忍が懸念しているのは、異世界エルフの「常在菌」である。常在菌とは、生物の体に棲む細菌、真菌(カビの仲間)、ウイルスのこと。なかでも多いのは細菌で、ヒトの大腸には400種、個体数にして数百兆個も棲んでいる。
話をシンプルにするために、ここでは常在菌=細菌として話を進めさせてください。

常在菌には、人間の体に害を成すものもいるが、大半は「消化を助ける」「ビタミンやタンパク質を作る」「病原体の侵入を防ぐ」など、宿主の健康を守っている。常在菌にとっても、生物の体は快適な環境であり、両者は共生しているのだ。
だが、ある生物の常在菌が、他の生物にとっては病原体となるケースもある。たとえば「パスツレラ菌」は、犬や猫の口のなかで病原体の侵入を防いでいるが、人間が噛まれたり引っかかれたりすると、この細菌が傷口の腫れ、気管支炎、肺炎などを引き起こす。身近なペットでさえこうなのだから、異世界から来たエルフとなると、どんな常在菌を持っているかわからない。忍が恐れるのは当然である。 公務員、中田忍の悪徳

◆忍の命が心配だ!

では、その常在菌を持ったエルフを、どうするか。
細菌がもたらす害には「宿主の細胞内で増殖する」と「細胞外で毒素を作る」がある。サルモネラ菌などは前者で、感染症を引き起こす。ボツリヌス菌やO157大腸菌は後者で、その毒性はきわめて強い。
だが、細菌の毒素は100℃で煮沸すれば分解するし、細菌自身も大半は100℃で死滅する。ボツリヌス菌などは「芽胞」という殻を作って耐えるが、それでも加圧して120℃で煮沸すれば死に絶えるから、800℃以上にもなるゴミ焼却炉で焼けば大丈夫なのでは……。
などと油断するのは禁物だ。エルフが「未知の常在菌」を持っている場合、それらは1000℃や2000℃にも耐えるかもしれないのだ。

すると、凍結という選択肢はかなり有力である。
細菌は水分3%以下の環境では活動できず、凍結すれば水が利用できなくなって沈黙する。それでも死なないものもいるから、凍結を維持することが肝要だ。作中、液体窒素と冷凍コンテナを手配できないか、という話が出てくるが、液体窒素はマイナス210~マイナス196℃。凍らせれば充分とも思うが、未知の常在菌である以上、万全を期すに越したことはない。
問題は、液体窒素の量だ。エルフの体重が50㎏で、体内の水分が人間と同じく体重の60%を占めるとすれば、体内の水は30㎏。これを体温と同じ36.5℃から凍結させて、マイナス196℃にするための液体窒素とは、最低でも135㎏である。
これほどの液体窒素を、マンションの一室で扱うのは一考を要する。液体窒素に何かを入れると、自分と同じ温度に下がるまで激しく気化する。上記の条件+気温20℃なら、発生する窒素は116㎥。忍は自宅の空間を150㎥と見積もっていたから、空気の80%近くが追い出されて、酸欠になる可能性が!
エルフはどうなるか不明だが、忍が心配だ。いざとなったらこのヒト、命に代えてもエルフを氷漬けにしそうな気もするだけに……。

こうした事態を回避するためにも、未知の常在菌が本当に危険かどうか、きちんと調べたほうがいい。それにはまず「検便」が欠かせない……と思ったら、物語の途中で、エルフはトイレに行くのかどうかが重要なテーマになっていた。この問題について、なんと作中24ページにわたって議論や実験が展開されており……。
筆者が受けた印象では、排便しない可能性も濃厚である。すると常在菌の検査も難しいが、その場合は外にも出ないということだから、むしろ安心かもしれない。
もちろん常在菌は、皮膚や口のなかにも棲む。寒天培地をエルフの全身にペタペタ当て、舌でも舐めてもらって、義光経由でどこかの検査機関に手をまわし……ということもやっていただきたい。いや、忍のことだから、そのくらい織り込み済みだろうな、きっと。【了】
公務員、中田忍の悪徳

柳田理科雄(やなぎた・りかお)
1961年鹿児島生まれ。東京大学中退。学習塾の講師を経て、96年『空想科学読本』を上梓。
99年空想科学研究所を設立。アニメやマンガなどの世界を科学的に研究する試みを続けている。
明治大学兼任講師も務める。

空想科学研究所HP
https://www.kusokagaku.co.jp/

YouTube「KUSOLAB」チャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCASv6OgFsfqV03b7TDOrsDA

公務員、中田忍の悪徳

『公務員、中田忍の悪徳』
著:立川浦々 イラスト:楝蛙
定価:726円(税込)
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